奉仕者としての先輩
昨日、大したことはないんだけれど、ちょっと嫌なことがありまして。
あーだこうだ考えながら歩いていて、ふと横に目をやったら彼女はいたのです。
盲導犬です。観光客やカップルの往来が激しい鎌倉の街を、彼女はものともせず歩いていました。ご主人様を導くように、ゆっくり、ゆっくりと。
彼女と断定したのは、このガーリーなファッションからです。
止まるたびに盲導犬の頭を撫でるご主人様。それに応えるようにしてニコニコした表情を向ける彼女。
信頼し合っているからこそなのだろうか慣れた様子で、彼女たちはそこにいました。
しかしご主人様には、彼女のニコニコした表情が見えていないのだと思うと、心がぎゅっと苦しくなりました。
それと同時に、見えないとわかっていても、ご主人様に穏やかな笑顔を向けている彼女を見て、なんて尊い職務を彼女は全うしているのだと、胸が熱くなるのを感じました。
往来する人々の視線に晒される彼女の眼は、焦点がどこに当たっているのかはわからなかったけれど真っ直ぐで、澄んでいて、まるで全神経を使って周りの状況把握をしようとしているかのような、そんな真剣さで。
そんな彼女は「盲導犬」という立派な職業に就いているのだなと、まだ社会人として働いていない大学生という分際のわたしからしたら、彼女のほうが何倍も、何十倍も素敵に見えました。
そして奉仕者として見返りを求めないと言わんばかりのその笑顔に、それまで悩んでいたわたしの中の「嫌なこと」が馬鹿らしく思えてきて、スッと軽くなる感じがしました。
たとえ自分がどんな思いをしようと、子どもたちが笑顔でいてくれていたらそれだけでいいじゃないかって、そんなことを思えば気が楽になりました。
自分が美味しい思いをするために奉仕者である教師を志したわけではありません。
ただ、社会に羽ばたいていく前の子どもたちの成長に自分が携わっていきたいと、子どもたちが道を踏み外しそうになっても自分が守っていきたいと望んだからこそ、今教師を目指しています。
そう考えたら、ちょっとくらいツライことがあっても、子どもたちがいる限りはへこたれるわけにはいかないと思いました。
わたしもいづれは、子どもたちを導いていく立場になるのだから。
誰かの頑張っている姿を見ると、元気になりますね。
それが可愛い盲導犬だったのだからなおさら◎
さて本日は久しぶりの塾ですが、果たして授業はあるのでしょうか。
ここ2日程、アルバイトがなかったので早く授業がしたいです。